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2009年1月11日 (日)

演技論メモ

吉本さんが自己表出と指示表出をインスパイアされたのは、マルクスの『資本論』「貨幣」における商品の相対的価値形態と等価価値形態である。この場合商品はどちらかに属し、同時に相対的価値形態と等価形態をとることは出来ない。もちろん、ここにタワシ一個があるとして、それは等号の左右を入れ換えるだけで、相対的価値形態にも入るし、等価形態となることも出来る。ここからマルクスは貨幣というものの本質を導き出しているのだが、岩井克人の『貨幣論』にみられるようなアホなことはしていない。(余談だが、科学哲学信者の帝京大准教授によると、岩井克人などは1.5流なんだそうだ)私は自己表出と指示表出から、心象表出と形象表出という、演技の形態を考えた。歌舞伎では、ココロとカタチとはどちらが大事かなどという議論があるそうで、その道のご老体も、批評家も曖昧にしか答えていない。相対的価値形態と等価形態という面倒で難儀なことは、例をあげればワリと簡単に理解出来る。私のいきつけの中華屋の店長のママさんは、別の中華屋に行くこともあるだろうが、そのときは客であって、自分の店では店員である。客と店員を同時にやることは出来ない。たったこれだけのことだ。たとえママさんが、自分の店のオーナーとして別の中華屋の味を吟味しに客になるとしても、意識がいくら自店のママさんとしてでも、客としてしか別の中華屋には訪れることは出来ない。店員か客か、この価値形態の違いなのだ。私の心象表出と形象表出では、ココロとカタチがマトリックス(行列であるから当然ベクトル合成なのだが)になっている。ココロかカタチかなどと議論するのは所詮、意味あることではナイということになる。(詳細は「初級えんぎ論」白水社『空想と科学』を参照すべし)

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